「日の丸」と言えば、我が国の国旗だし、「君が代」と言えば我が国の国歌だということは、誰でも知っていると思う。
だが、最近は祝日に国旗を掲げる家は激減し、学校の卒業式では国旗や国歌に反対する教師が新聞紙上を賑わすことになる。
そういえば、我が家で国旗を掲げなくなって久しい気がする。決して反「日の丸」でもなければ、反「君が代」でもない。
どちらかと言えば、国旗や国歌に対して愛着を持っている方だと思う。
では、どうして祝日に国旗を掲げなくなってしまったのだろう。
答えは簡単だ。我が家に国旗がなかったからだ。
それなら、買ってくればいいじゃないか...。
しかし、どこに売っているのだろう?買いたい我が国の“国旗”が買えないなんて困ったものだ...。
話は変わって、私は野球もサッカーも興味がないので見たこともない。しかし、ワイドショウや新聞を見ると日の丸を顔に描いている連中も多いよね。それと、ほとんどのスポーツにおいて国際試合の優勝者を称える際に、国歌演奏と国旗掲揚が行われますけど、そのとき多くの(スポーツ)ファンたちは(敬礼しないまでも)素直に聞いてますよね。
まぁ、もともと国旗も国歌も大好きな私には違和感がないんだけど、国歌や国旗に反対する人たちは、こんなシーンをどういう気持ちで見ているんでしょう?やっぱり反発するのかな?それとも、スポーツの儀式として認めているのかしら?
う~ん、そういえば、スポーツ中継で国旗や国歌が問題になったことってないよね。そんなことしたら興ざめだもの。でも、反対派の人たちにもスポーツ好きな人はいるんでしょ?
ねぇ、教えて貰えません。そのときの気持ちを....。
そうそう、公共交通機関、それも公営だったりすると、祝日に国旗を掲げていたりしますよね。
反対派の人たちって、乗らないのかなぁ?
そこまで反対するなら絶対に乗って欲しくないんだけど....。
投稿情報: はつかり | 2006/11/05 23:39
「君が代の伴奏命令は合憲」という最高裁判決が出ました。
しかし、5裁判官中4人の多数意見で、藤田宙靖(ときやす)裁判官は反対意見を述べたそうだ。
藤田裁判官の意見は「君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白だ」として、審理を高裁に差し戻すべきだというのですが、それってやっぱりおかしくないですか?
公立だろうが私立だろうが、学校の先生、それも音楽科の教師になれば、公式行事での伴奏が職務として与えられることは十分に予測できるはずですよね。
苦痛に感じるほどの業務が予測できるなら、就職しない自由はあるんですよ。
私は
藤田宙靖
(ときやす)裁判官に言いたいですね。「職業選択の自由をはき違えていませんか?」と。
今回のニュースで私が決めたことはただ一つ。最高裁判所裁判官国民審査で“罷免”すべきと考える初めての裁判官が確定したことです。
ただ、気懸かりなのは、
藤田宙靖
(ときやす)裁判官の国民審査がいつ行われるかという点です。そして、老化した脳が、その時まで覚えていられるかどうかが問題です。
投稿情報: はつかり | 2007/02/27 22:24