三遊亭圓楽氏が急逝し、「笑点」メンバーはじめ、各界の大物から弔辞が寄せられている報道を見ていて、ふと疑問に思ったことがありました。
それは、圓楽氏の弟弟子で、かつて(70年6月~77年8月)は「笑点」に出演していたこともある三遊亭圓窓氏のコメントが一切報道されないことでした。兄弟弟子という関係だし、弔問に行かないはずはないと思うのに、テレビに映る関係者は、「笑点」メンバーと圓楽門下の落語家ばかりです。
28年の歳月を掛けて五百噺を達成するために「笑点」を卒業したとは言え、まさか喧嘩をしたわけでもあるまいに・・・。
そういえば、同じ三遊亭圓生門下とはいえ、生え抜きの圓楽氏と違い、もともとは春風亭柳枝門下で師匠の逝去で三遊亭圓生門下に移った圓窓氏とは、必ずしも仲が良くはなかったのではないかという疑念も出てきました。
と言うわけで、素朴な疑問から、いろいろ検索してみると、圓窓氏のブログ「圓窓の年月日輪」に辿り着いたのですが、圓楽氏の訃報について触れている記事は僅かに10行。淡々と顛末を語るだけで弔いの言葉は一言もありません。
やはり、これは何かあるなと過去記事を覗いてみると・・・
ありました。昨年5月2日に書かれた「圓生(6) 5月2日 圓楽(5)の横暴」です。
この記事によれば、昭和の名人と呼ばれた先代圓生氏が亡くなったとき、「圓生の名前はもう誰にも継がせない」という意をこめて「止め名」にしたのに、圓楽氏が独断で「愛弟子鳳楽氏に七代目圓生を継がせる」と言っていると怒っているのです。
なるほど、そういう経緯があって、圓窓氏と圓楽氏の間に亀裂が生じていたのか・・・と一瞬納得したものの、やはり解せません。その話が出てから、圓楽氏が亡くなるまで一年半もの期間があったはず。
しかも、いろいろ検索していくと、こんな記事も見つかりました。
「三遊亭円朝作「怪談牡丹燈籠」を「三越納涼寄席」(7月12日、東京・日本橋の三越劇場)でリレー落語による通し口演することになり11日、出演する三遊亭鳳楽(61)金原亭馬生(60)五街道雲助(60)が円朝の墓のある谷中・全生庵を訪れた。
鳳楽の師匠三遊亭円楽(75)はこのほど「鳳楽に7代目三遊亭円生を、三遊亭楽太郎に6代目三遊亭円楽を襲名させたい」と明言した。鳳楽に大師匠 の名跡を、楽太郎には現役を引退した自らの名跡を継がせようという構想だが、鳳楽は「円生襲名は昨年末に6代目の遺族から申し出があったそうです。来年は 林家三平襲名もあるので、襲名が決まるとしても先になるのでは」と話した。
楽太郎の円楽襲名は問題ないものの、円生の名跡についてはその死後に遺族や円楽、故稲葉修法相を含めた関係者の間で誰にも継がせない「止め名」にするとの文書を交わしていた。そのため、円生襲名実現までには時間がかかりそうだ。(日刊スポーツ 2008.6.12 08:13)」
なるほど、「止め名」の問題が解決していなかったのですね。しかし、「先代の遺族から申し出があった」ということですから、関係者が協議し、封印を解けばいいのでは?それから、ゆっくりと「誰に七代目圓生を襲名させるか」を決めればいい。
ところで、その作業をする人は誰なのでしょう?
ということで、「圓生(6) 5月2日 圓楽(5)の横暴」に、コメントを書き込んで圓窓氏に尋ねてみたのですが、具体的なことはちっとも書いてくれません。「直接お会いしてお話ししましょう」とか「圓生の名を継ぎたいという者に質問してみたらどうでしょうか」と言うばかり。
一応、社交辞令で「ぜひお会いしたい」とは書いたものの、本音はわざわざ会いに行ってまで聞く気にはなれません。私だってそんなに隙ではないし、所詮、一演芸ファンという立場に過ぎませんから、三遊亭一門のゴタゴタの説明を聞いたところで、口を挟む問題ではありません。
ただ、ブログ上で異論を唱えている圓窓氏には、ブログ上で説明して欲しかったですね。
機会があれば、圓窓氏の噺などは聞いてみたいと思っていましたが、ちょっと興ざめです。
今後、襲名騒動がどうなるかわかりませんが、七代目圓生が誕生した時、一ファンとして「さすが、圓生」と唸ることになるのか、それとも「圓生の名が泣くね」と言うことになるのか。
ま、どっちでもいいですね。(笑)
ちなみに、Wikipedia によれば、三遊亭を名乗る落語家(三遊派)は多いが、先代三遊亭円生は(真打ちの粗製濫造に反発して)弟子を引き連れて「落語協会」を脱退。78年に「落語三遊協会」を設立。先代三遊亭円生の弟子は、圓楽、圓窓、圓丈などで、圓右、圓歌、圓遊、圓橘、金馬などは別系統なので、この時の騒動とは関係がないようです。
そして、先代三遊亭円生の没後、圓楽とその弟子を除く全ての圓生門下は落語協会に復帰。圓楽一門だけは復帰せず、単独で「大日本落語すみれ会」を結成、その後「落語円楽党」を経て、90年から「円楽一門会」と称しているということですから、先代の三遊亭円生の一門としては、現在の「円楽一門会」だけということになるのでしょうね。
となると、圓窓氏は、先代の弟子ではあっても、もはやとやかく言う権利はなさそうな気もするのですが・・・。
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