「七代目三遊亭圓生」襲名問題ですが、さらに動きがありました。
落語界の大名跡「三遊亭円生」襲名を巡る問題は、六代目三遊亭円生(1900~79)の孫弟子の三遊亭鳳楽さん(63)と、新たに名乗りを上げた直弟子の三遊亭円窓さん(69)の一騎打ちとなりそうなことが26日、分かった。
この問題では、鳳楽さんと、円窓さんの弟弟子の三遊亭円丈さん(65)が争っていたが、円丈さんは「円窓さんなら消極的賛成。棄権する」との考えを示した。
六代目円生は、戦後落語界に君臨、「昭和の名人」と称される。「七代目」襲名については円生さんの一番弟子の五代目三遊亭円楽さん(昨年死去)が、自らの一番弟子の鳳楽さんを指名。これに反対する円丈さんとの間で3月に「円生争奪杯」の落語会が開催された。
一方、円窓さんは今月17日、所属する落語協会の理事会で襲名に意欲を表明。「詳しくは今の段階では話せない」と語るが、六代目円生の遺族の一部の了解を得た模様だ。
鳳楽さんは「襲名は円滑に進めるべきで、泥沼はいけない。一度、円生一門や遺族が集まって話し合わないと収拾しない」と話している。(読売新聞 2010.5.26 11:35)
予想どおりのいい展開となってきました。
いや、もしかすると圓丈氏が名乗りを上げたのは、兄弟子の圓窓氏を土俵に引っ張り上げるためではなかったのでしょうか?
同じ古典分野での大先輩でもあり、先に五百噺を達成した圓窓氏が名乗りを上げ、圓丈氏が支持に回った以上、鳳楽氏も圓丈氏相手の時のように、のらりくらりと躱しながら襲名に向けての準備を進めるわけにもいかなくなったようです。
(先代)圓生一門と遺族の話し合いという方向に向かうなら、それが一番です。
果たして「七代目三遊亭圓生」を襲名するのは、圓窓氏なのか、鳳楽氏なのか、はたまた再び止め名のままにするのか・・・。
いずれにしても、遺恨のない形で綺麗に解決して貰いたいものですね。
6月1日 追記
なにやら、いよいよ泥臭くなってきましたね。
落語界の大名跡「三遊亭円生」襲名を巡り、6代目円生の直弟子三遊亭円窓(69)が新たに名乗りを上げた。同名跡の襲名には円生の一番弟子の5代目 三遊亭円楽(09年死去)が自らの一番弟子三遊亭鳳楽(63)を7代目円生に指名する一方、円生の直弟子三遊亭円丈(65)が反対を表明していた。
先代円楽の弟弟子円窓は、5月17日の落語協会理事会で「遺族から襲名を要請された」と襲名の意欲を明かした。関係者によると、4月6日に6代目円生の長男耀一郎氏と円生直門の円窓、円丈らが話し合い、そこで耀一郎氏が円窓に襲名許可を与えたという。
耀一郎氏署名の「7代目三遊亭円生の襲名確認書」なる文書が円丈、鳳楽にも届いたが、その日付は「5月7日」と話し合いから1カ月後で、しかも届いたの は先週末という。さらに円丈は「私は賛成していない。もっとフェアな形で選ばないといけない」と批判した。円生の長女や孫は円窓襲名に反対の意向など遺族の間でも異論がある。
円窓はもとは春風亭柳枝門下で、途中から円生一門に移った経緯がある。円窓参入に円丈は「私は棄権します」と撤退の意向。鳳楽は「恥ずかしいね。泥沼はいけない。1度、直弟子から孫弟子まで円生一門と遺族が集まって話し合わないと前に進まない」と話した。落語協会も静観の構えで、襲名問題は混沌(こんとん)としてきた。(朝日新聞 10.5.27)
「<落語>『円生襲名問題』 円窓も名乗り 渦中の円丈に聞く」
来年の三十三回忌を前に七代目襲名問題が浮上している落語の大名跡「三遊亭円生」。直弟子の三遊亭円丈(65)と孫弟子の三遊亭鳳楽(63)が、三月に“円生争奪杯”落語会を繰り広げたが、ここに来て円丈の兄弟子の三遊亭円窓(69)が名乗りを上げ、三つ どもえの様相に。当事者の一人、円丈に胸の内を聞いた。 (田中冴子)
六代目円生は一九七九年に七十九歳で他界した。長く空席だったのは、夫人ら五人の署名で誰にも永久に名跡を継がせない「止め名」にしてあったか ら。この時、総領弟子で同席した五代目円楽(昨年十月に死去)が封印を無視して、鳳楽に昨年秋、七代目襲名に名乗りを上げさせた。
これに円丈は「止め名は最近まで知らされていなかった。それに直弟子が手を上げないのはおかしい」と異議を唱え、オープンに話を進めようと直接対決の場を設けた。
この時、表だっては静観の構えだった円窓が五月十七日、所属する落語協会(鈴々舎馬風会長)の定例理事会で「円生の長男(90)に推された」と、襲名に前向きであることを表明した。
「この世界は兄弟子は絶対ですから」と言いつつも、「毎朝仏前で手を合わせるたびに、自分が継ぐことを師匠は望んでいるのでは」と感じてきたという円丈。
この問題では「遺言がなかったので仕方がないが、師匠はどう考えていたのかという問い掛けがないことが、一番合点がいかない」と語気を強める。生きている者の理屈で止め名にしたり、孫弟子に継がそうとしたり…。「鳳楽君はほとんど教わっていないし、円窓さんは最初の師匠が亡くなって来た人。実力主義の師匠が子飼いの弟子で真打ちと認めたのは円楽、円丈の二人しかいないんですから」。かわいがられたという自負もある。
「今後は皆で話し合うしかないのでは。そのために来月一日、鳳楽君と遺族の一人に会って、僕もその意思があることを伝える。一度は名乗りを上げたのだから、了解を取りたい」(東京新聞 10.5.29)
いやぁ、やってくれますねぇ。圓丈氏も降りたわけではないんですか。兄弟子の圓窓氏が名乗りを上げたから、消極的賛成(兄弟子を支持)と言いながらも、他の一門からの移籍組という点に納得していないというわけですね。
しかし、鳳楽氏の襲名話が具体化するまでは、名乗りを上げなかった点を考えると、本心からの名乗りとは思えません。
圓窓氏も先代圓楽氏が鳳楽氏の襲名云々を言い出した頃から噛みつきながらも、名乗りを上げなかった点を考えると、基本的には「止め名」派なのでしょうね。
積極的に襲名したいと考えているのは鳳楽氏のみですか・・・。
そして、先代圓生氏の遺族は、長男が圓窓の襲名を支持、長女と孫はそれに反対というのですから、話になりません。
そもそも、先代の遺族で落語家になった人はいないのでしょうか?
落語の世界と縁がない遺族の意向が関わるというのも少し変な気がします。
先日、引用した毎日新聞の記事にもあるように、「名前は落語界の共通の財産」です。先代の血縁だけのものではなく、そのまた先代、さらに先代と受け継がれてきたものなのです。
いっそのこと、8代目林家正蔵(林家彦六)のように、名跡の名貸しというかたちで第三者が襲名し、(何代先になるかわかりませんが)先代の遺族系から落語家が誕生した後に、○代目三遊亭圓生を襲名するという流れが美しいのではないでしょうか。
昭和の名人と呼ばれた先代の噺をリアルタイムで聴いていたファンや先代の関係者が納得できる形としては、平成の名人と言えるような人が襲名するのがいいと思うのですが・・・。
最近のコメント